露の新幸 つゆの・しんこう 大阪府大阪市出身
2014年11月 露の新治に入門
ミュージシャン、役者、ライブバー経営者… 多彩な経験が高座で活きる!
≪落語のほか、得意のギター演奏とを生かした音曲漫才でも活躍する≫
入門が私より1年あとの桂りょうばさんと「てれすこボーイズ」というコンビを組んでいます。私と同じく、彼も元ミュージシャン。二人でギターを弾いて、漫才やってます。繁昌亭昼席の色物としても出演してるんです。大谷翔平選手と比べたらあきませんけど、落語と音曲漫才の二刀流です!
【てれすこボーイズ。奥は桂りょうば】
≪積極的な動画配信も活動の柱。各地でファンを増やしている≫
コロナ禍で仕事がなかった時期に「何かできることを」と思い、動画をどんどん配信するようになりました。たいそうなことはしてなくて、主に一人語り、フリートークを撮ってネットにあげる。月1回程度のペースです。それでも、けっこう反応があって。二ューヨーク在住の日本人のかたから「いつも見てます」と連絡をいただいたこともあります。あと、ベトナムのかたからも。
≪入門前の経歴がユニーク。ミュージシャンとしてメジャーデビュー、さらに俳優業も≫
ミュージシャンになるのを夢見て、工業高校を卒業してからギター演奏を独学で覚えました。同時にエンタメ系の専門学校に裏方の仕事を学ぼうと通いました。アルバイトしながらメジャーデビューを目指す、当時はどこにでもいる奴でした。
ライブはようやりました。20代前半は年間100回以上。幸運にもレコード会社の関係者の目にとまり、2001年、ユニバーサルミュージックからメジャーデビューも叶いました。「フリーク」というポップスのユニットです。ところがデビューのCDがまったく売れなくて。結局、この1枚だけで活動が終わってしまいました。
その前に1年足らずですけど、「KIO」という劇団で役者の研修生もやってました。主宰者から教えられたことは今も胸に刻んでいます。それは「無我夢中」。つまり、自分がやりたいことだけ主張しててもあかん。どんなに理不尽でも相手の言うことを、我を無くして「無我にして」いったん受け入れてみるのが大事。これがのちに噺家の修業を積むときも支えにもなりました。
≪30代後半、大阪・日本橋でライブ・バーの経営を始めた。ここで思いがけなく、落語と接点を持つことになる≫
店の名前は「太陽と月」。私がお客さんを相手に店でギターの弾き歌い、トークなどもしてました。あるとき、お客さんから突拍子もない依頼を受けたんです。
「素人落語の会に出ていただけませんか?」
そのかた、会の主催者で、出演者を探してたそうで、店で私のトークを聴いて、この人なら「断らないんとちゃうかな?」と思われたんでしょうか。落語との接点は皆無でしたが、ご期待にお応えしようと、桂米朝師匠の音源を手に入れて稽古しました。ネタは「天狗裁き」。大ネタです。今思うと、おそれ多いことです(笑)
≪それから落語に興味を持ち、繁昌亭昼席で聴いた露の新治師匠の「権兵衛狸」に感動。入門を志願したとき、39歳だった≫
その後、師匠に弟子入りをお願いしたら、「入門するには高齢やし、よく考えなさい」と諭されました。重ねてお願いに上がると「何でもええから、ネタやってみ」。びっくりしました。今、目の前で落語をやってみろ、と。
実はその時、繁昌亭の落語入門講座にかよっていて、(露の)都師匠にご指導いただいた「鉄砲勇助」をそのときにやったんです。しばらく聴いていた新治師匠がつぶやきました。 「……うちの師匠(二代目露の五郎兵衛)のやり方やなぁ」。「何か縁を感じる」という師匠に、弟子入りを許していただきました。その時点で39歳。結婚してて、子どもが二人いました。
≪弟子修業の期間はアルバイトや副業を禁じる師匠もいるが、新治師匠の考え方、指導は独特だった≫
入門したとき、まだバーの経営者でもあり音楽専門学校で講師もしてました。「他の仕事も噺家としてやりなさい」「どんな仕事も噺家人生に役立つ」と師匠は弟子修業とのかけ持ちを許してくれはりました。
ただ、〝三刀流〟の生活はさすがにきつかった。高座をつとめたあと、店へ出たり、学校へ行ったり。一睡もできずに師匠宅へおうかがいしたことがあって。疲労困憊の私に師匠が「修行はせなあかんけど、苦行したらあかん、ちゃんと8時間寝てから来なさい」と。優しくもあり厳しくもあるお言葉に感謝しました。
≪現在、繁昌亭にほど近いビルにて落語専用フリースペースの管理人をつとめている≫
オーナーさんから管理を任され、若手の勉強会(※1)の会場として活用してもらっています。月平均で10公演くらいやってますよ。後輩たちのほか、もちろん私も毎週勉強会を開いています。繁昌亭昼席の出演者が高座をかけもちしてくれることも。私は席亭(※2)ではなく管理人ですのでスケジュール管理、舞台設営、掃除とか、雑用のほうが主な仕事です。
スペースの名前は「猫も杓子も」(※3)。自宅で猫を飼ってまして、猫にちなんで名付けました。繁昌亭のお客様にも、どんどんおこしいただきたいです。繁昌亭を含む界隈を落語で盛り上げたい気持ちで取り組んでます。
≪将来、どんな落語家になりたい?≫
「落語家になってよかった。心の底からそう思える落語家になりたい」。師匠・新治の言葉なんですが、私もそうありたいと願っています。
文・んなあほな編集部
編集部注
(※1)若手が研鑽を積むための小規模公演
(※2)演芸場、寄席会場のオーナー。
(※3)所在地は大阪市北区天満3-4-5 タツタビル3F