今なお、日本中に野球ファンは多い。シーズンが始まれば、テレビのゴールデンタイムでナイターを中継し、春と夏には高校野球を全国放送している。外国人からすれば、プロの試合ならまだしも高校生の大会で大勢が一喜一憂する姿は、とても不思議に映るらしい。
しかし、そんな野球好きの国民性こそが、31万もの草野球チームを生み出し、490万人にも及ぶ競技人口を抱えることとなっているのです(2015年 インターネット情報)もちろん落語家チームもいくつかあり、その中から今回は創設から約40年の「モッチャリーズ」をご紹介しましょう。
「モッチャリ」は「モッサリ」とも言い、大阪弁で「不粋、野暮くさい、ぱっとしない、映えないこと」を意味します(牧村史陽編 大阪ことば事典より)
半世紀近くも前から、今流行りの「映える」「映えない」を意識していたとは、なんという先見の明…
それはさておき「時を戻そう」(このネタもいつまで分かるのやら…)設立当初からのことを現チームのまとめ役である桂枝女太に聞きました。
当時、堺で御旅寄席などを開催していた「ぐるーぷ寄席あつめ」のメンバーを中心に、笑福亭仁福が声をかけ集まったのが、桂文福、文喬、枝女太、米八、笑福亭仁勇、仁嬌、仁幹ら落語家と、故 旭堂小南陵(4代目南陵)、南学(南左衛門)、南光(南鱗)という講談師。もっとも文福は、初めての試合で不本意なプレー(自分のチップした球が足元で回転、ぎりぎりの所でファールにならずタッチアウトされた)があり「自分には合わん」と、一度きりで辞めてしまったらしい…
とにもかくにも、これらの面々で第一歩を踏み出した新チーム、ユニホームは全員分を桂小文枝(五代目文枝)からプレゼントされ、チーム名は喫茶店で会議の末、仁幹の発案により「モッチャリーズ」に決定。体力がありあまる若手の集まりなだけに、試合数も相当こなしていて、対戦相手も明石家さんまや宮川大助といった芸人チームから、一般のサークルまで幅広く、9日間で7試合といった時期もあったらしい。
当時を振り返り、枝女太は言う「夏場なんか、朝7時に始まる試合がようあった。20分前に球場へ入るとして、家を出るのが6時前、起きるのは5時ごろでゴルフ並みや。ただ、ゴルフはプレーに半日以上かかるけど野球は2時間で終わるから、その後の一日が長い長い…。かというて、ダブルヘッダーやトリプルヘッダーもきついわ、2回ほどあったんやトリプル。朝7時からと11時の2試合が終わった時に、監督の仁福さんが『今日、夕方から空いてる?ナイターがあんねやけど』これがまた全員空いてんねん、仕事が無い時代やさかい」さすが噺家、金は無いけど暇はあるを地でいく話だ。
また、草野球ながらドームで試合をしたこともあるという、こう書くと大層なことに思うが、枝女太曰く「大阪ドーム(現 京セラドーム)は一般でも借りられるんや。もちろんプロ野球やコンサートで使われてない時で、僕らが借りたんは12月末の夜中0時、対戦したんが、ある大企業の労働組合やった。あの時の活躍を見せたかったなぁ…僕の打った球がライト前へ飛んで大きくワンバウンド、そいつが守備の頭を越えて後ろに転がった…あそこ広いがな、おもいっきり走ってランニングホームランや。ベンチに戻ってみんなと盛り上がってたら、審判が来てアウト!…よう考えたら、2塁と3塁のベースを踏んで無かってん」
ベースボールでベースを無視したら…それはただのボールやがな。ああ、ボールだけに「たまたま」踏み忘れた?
この様な落語家らしい?試合を数多くこなしながら、はや40年近くになる「モッチャリーズ」ですが、初期メンバーの多くは年齢からくる体力の衰えには勝てず、次々と世代交代を繰り返し、人数が足らない時には芸人以外の助っ人の手も借りながら今日に至ります。
先日、取材にお邪魔した時の参加者を現監督の枝女太以下、打順ごとに紹介すると月亭秀都、笑福亭呂翔、風月(お好み焼き屋さん)、笑福亭風喬、桂三ノ助、京山幸太(浪曲師)、林家染八、桂あおば、横山(イラストレーター)他に田中(介護士)、笑福亭喬若、笑福亭呂竹、桂三実という面々。
お相手は「アベンジャーズ」という、名前だけ聞けばスーパーヒーローの集まりみたいなチーム。ただ、前回1対0で勝利していると聞いていたので、これは期待の持てるカードやと思ったのですが…試合中これといった盛り上がりもなく、11対2で惨敗するという悲しい結果となってしまいました。
しかし、ベンチでインタビューをしていて感じたのは、全員「野球が大好き」だということ。
いつも舞台では個人プレーの落語家、チームプレーをすることで、普段は味わえない喜びを感じるのかも知れません。
「夏の野球」とかけて「金色夜叉」と解く、その心は「ダイヤモンドに目がくらむ」
文:桂 米平
(文中敬称略)
番外インタビュー モッチャリーズ前監督にきく
取材後、現監督の枝女太より「ぜひ、創設者で前監督である笑福亭仁福にインタビューを」との依頼があり、筆者が枝女太と共に話を聞きました。
筆者「野球は小さい頃からやってはったんですか?」
仁福「子供の頃に遊びと言うたらそれしか無かったからなぁ…」
枝女太「今みたいにサッカーなんか誰もやってなかったからね」
仁福「後はソフトボールぐらいやな」
筆者「スポーツをやろうと思うたらそんなもんですか…私ら運動系は、まったくやる気が無かったですが」
仁福「(筆者の90kgの体型を見て)その身体やからなぁ…まあドカベンもそんな感じやったけど」
筆者「話がそれました。なぜ野球チームを作ろうと思われたんですか?」
仁福「三枝(現文枝)さんらがチームを作ったんや、大阪パールズやったかな?」
筆者「モッチャリーズができる前の話ですね」
仁福「そうそう、始めは、まさとさん(ザ・ぼんち)が芯になって、三枝さんなんかを呼び込んで…というのは、売れてる人間がおった方が(世間にアピールするのに)いろいろ都合がええちゅうんで、いろんな芸人を集めて作ったんや。そこへ入れてもろたんやけど、当時は俺が一番下っ端で雑用ばっかりやらされて面白い事も何にもないがな、楽屋の仕事と変わらへん(笑)しばらくしてやめてしもた」
筆者「それで、ご自身が作ることになったんですね」
仁福「前は漫才さんが中心のチームやったし、今度はなんとか噺家同士でやりたかったんやけど、人数が揃わんから講談師も誘うて…その時、君にも声掛けたんやな」
枝女太「ちょうど年季が明けたところぐらいでした」
仁福「そこから今までズーッとやな」
枝女太「ズーッと…下手なまま(笑)」
筆者「そんなことはないでしょうけど」
枝女太「いや、メンバーの中に『多少できる人』『あかん人』『もひとつあかん人』があって、その『もひとつあかん人』の中にズーッと居てたな…けど俺だけやないで、あと『春雨くん』と『南鱗さん』」
仁福「名前を出しないな(笑)」
筆者「いろいろな顔ぶれで出来たチームですが、思い出に残るプレーや試合は?」
仁福「モッチャリーズの記事にも書いてもろてるけど、京セラドームでやった時は嬉しかったなぁ…舞い上がるねぇ(笑)プロ野球選手になった気になるもん。しかも対戦相手が大企業の労組で、20万掛かる借り賃も全部出してくれて…」
枝女太「いつもはメンバーが集まれへんちゅうて困るのに、あの時はぎょうさん来ましたなぁ…うちのチームだけで20人近く居てましたやろ」
仁福「夜中の12時やで。現金なもんや(笑)」
【現役時代】
筆者「数々の試合をやってこられたと思いますが、引退を決意されたきっかけは?」
仁福「体をこわして…トレーニングのしすぎやな」
筆者「ほんまですか」
仁福「ウソウソ、トレーニングやないんやけど、膝を悪うして激しい運動ができん様になったんと、大阪から奈良に引っ越したさかい、試合に出て来にくくなってしもて…平日の朝9時にプレーボールで7時ごろの電車なんかに乗ってみぃな、通勤ラッシュでギュウギュウのとこへ野球道具抱えてたらヒンシュクモンやで、世間の皆さんは働きに出てはるのに(笑)」
筆者「なるほど、いろんな理由が重なった末の決断やったわけですね」
枝女太「ほな、そういう事情がクリア出来たら、また試合に出てもらえますか?例えばナイターとか」
仁福「出てはみたいわなぁ…バッティングだけでも。たいした活躍は出来へんかもしれんけど」
枝女太「昔は凄かったんやで、サードで4番や。体格がええさかい、打ったら大抵外野の頭を越してた」
仁福「今は振り逃げでええやろ?」
筆者「では、条件さえ整えば出場したいと…」
仁福「とりあえず試合をベンチから見ときたいな。みんなと『ああでもない、こうでもない』ちゅうてワアワア言いながら…」
筆者「それこそ、40周年に記念試合を考えられてはどうです?」
枝女太「それが、創立の年がはっきり分からんねん、兄さん覚えてますか?」
仁福「ええっと、昭和60年が阪神優勝やろ…」
枝女太「その頃はすでにやってますわ、昭和58年、僕の結婚式の日に試合が入ってたんですから」
仁福「そら悪かったなぁ、結婚式を断ってまで試合に出てもろて」
枝女太「なんででんねん、さすがにその日は断りました。ところが雨で中止になって」
仁福「結婚式が?」
枝女太「違いまんがな、野球の方。おかげでメンバーが式に間に合いましたんや」
筆者「あのー、結婚式の思い出はともかく、設立の年は…」
仁福「そうなると、昭和56年ぐらいやな」
枝女太「そうですね、西暦1981年やから…やっぱり来年が40周年や」
筆者「では来年、正式に記念試合をされますか?」
仁福「試合もやりたいし、繁昌亭で落語会もやりたいなぁ」
枝女太「じつはモッチャリーズ寄席ちゅうのを何回かやってて、その中で野球大喜利がけっこう面白かった」
筆者「野球大喜利とは?」
枝女太「結局は単なる『なぞかけ』なんやけど…3人ずつのチームに別れて、真ん中に審判役の司会。お客さんからドンドンお題をいただいて、10秒なら10秒と時間を決めて答えんねん。その良し悪しを『アウト』『セーフ』で審判が判断して、点を入れていくんや」
仁福「速さの勝負やから、俺らあかんわ。10秒で作らなあかんと思うだけでワーッとなってしもて…10分かけても出来へん時もあるのに(笑)」
【2012年7月28日モッチャリーズ寄席】
筆者「そういう四苦八苦してる姿が、盛り上がる要素の一つやと思います。では、来年に40周年記念試合と記念落語会を開催するということでよろしいですね」
枝女太「こういうことは、先に宣言しとかんと進まんさかい。ねえ、兄さん」
仁福「よし、来年は『モッチャリーズ寄席』をやる…と思う」
枝女太・筆者「思う!?」
それではみなさん、2021年のモッチャリーズにご期待ください。
文:桂 米平
文中敬称略