露の瑞
生年月日 1988年(昭和63年)2月6日
入門年月日 2013年(平成25年)2月24日
露の都門下
出身地 大阪府堺市
[入門]
京都女子大在籍中、コントや漫才がやりたくて落研(オチケン)に入部。ところが部員が4人しかおらず、先輩から「落語やってもらわな困る」と言われ、意図せずして落語をせざるを得なくなった。ある日、テレビで桂雀々師の『手水まわし』を観て、「うわー、おもしろい!」と感嘆。それから落語を独学で覚えた。
そのうちに就活の時期がやってくる。企業説明会に行くが、「自分が求めてるのは、こんなんやない」。何をやりたいのか冷静に考えてみた。「そうや。落語がしたいんや」。そこで2010年3月、卒業したばかりの初々しい姿で雀々師の門を叩いた。鈴々と名付けられ、しばらく手ほどきを受けていたが、残念ながら縁がなかったのか、一旦リセット。それから派遣会社に勤めなおし、一般の客として落語会を回っていた。
2013年、繁昌亭で都師の『堪忍袋』を目の当たりにして、脳天からグサーッと何かが突き刺さった。「なんや。このおばちゃんは! 男とか女とか性別関係なく、おもろすぎる!」
お見送りする師に、それまで何度も通うことで顔を覚えてもらっていた。そして、ついにその日がやってきた。繁昌亭楽屋口で出待ちを決行。声高々に「弟子にしてください!」と頼んだ。すると都師が
「生年月日と生まれた時間、教えてくれる?」
さすが風水の名人である。
後日、中津のホテルにて行われた後援会パーティーの席上で、壇上にあがった師の口から、いきなり「この子、弟子にとりましてん。占いによると金の子やから瑞(みずほ)と命名しました」。
[修行時代]
最初の一年は叱られることはなかったのだが、二年目になると毎日のように叱られ通し。
「帰れ!お前の顔なんか見たくないー!」
そのたびに姉弟子に助けてもらった。泣いて泣いて、鼻水ダラダラ。どんな表情で師に接していいか分からない。
エピソードをひとつ紹介しよう。
師宅ではトイレットペーパーはロールの中に芯が入っていないものを買ってきて、そこへ師匠自らが作ったお手製の芯を入れて使用する。彼女はそれを知らずに捨ててしまったから、さあ大変。師のお怒りは沸点に達した。「それなら初めから芯の入ったものを買えばいいのに……」と内心思ったが、そんなことを口にしたら火に油を注ぐようなもの。歴代の姉弟子たちも、ことごとく、これでしくじってきたらしい。
「こんな修行期間、いつまで続くねやろう……」
二年目の後半のことである。『金明竹』のお稽古があがった瞬間、「あんた、もう今日で年季明けや」とあっさり独り立ちを促された。
「師匠、あ、ありがとうございます!」
[現在から未来へ]
動楽亭ではじめた自分の会「瑞のホッ。」はネタ数、場数を増やすのに最適という。同期の桂鞠輔と「花の女子学園」(動楽亭)を、谷町九丁目で「美女と野獣の会」を展開。また、文の里では「瑞のきたのだー!」、谷町六丁目では「ひみつのみずほちゃん」。いずれの会でも切磋琢磨と芸を磨いている。
「将来的には月に一回は、どこかで自分の会をやってるようにしていきたいんです」と当面の目標を語ってくれた。『まめだ』や『中村仲蔵』など人情の機微を表現できる噺家を目指すそうだ。
「最後に自己PRをどうぞ!」
「瑞の落語を聴いて、元気もらえたわ~、明日も頑張ろう~と思てください。どうか応援よろしくお願いします」
北野田生まれの彼女は今日も元気に叫んでいる。
「北野田から来たのだー!!!」
【取材・文 月亭文都】