昨年11月に急逝した桂三金の人となりや想い出を
とくに仲のよかった同期の5人の落語家が追悼というかたちで寄稿してくれました。
あらためて、あのなんともいえない人を穏やかにする風貌を思い出しながら読んでいただければと思います。
巨躯の向こうに見えたもの 桂米紫
三金は可愛い奴だった。
オッサンがオッサンに“可愛い”などと言う事が気持ち悪いというのは百も承知だ。
“可愛い”と言っても、別に「抱きしめたい」と思うような可愛さではない。
むしろあの巨体を「抱きしめたい」とは、絶対に思わない。
あの巨体の向こうから“人間的弱さが垣間見える”ところが、何だか可愛かったのである。
三金はああ見えて、カッコつけだった。
ただそれが決して傲慢なカッコつけではなく、控えめなカッコつけなのだ。
三金の口癖に「打ち合わせ」というのがあった。
会う度に「このあと打ち合わせや」「今度出るイベントの打ち合わや」「明日も打ち合わせや」と、ボソッと忙しさをアピールしてくる。
でもその用件というのがだいたい「打ち合わせ」で、
決して「独演会」じゃないところが可愛かった。
皆から「仕事より打ち合わせが多い噺家」と、よくネタにされていた。
三金が亡くなる二日前、繁昌亭の楽屋で彼と二人きりになることがあった。
楽屋に入ってくるなり「朝からエライ目に遭うたわー」と、独り言のように呟いてくる。
これも三金の口癖だった。
「実はこんな事があって…」と自分から話を切り出すのではなく「エライ目に遭うたわー」と呟いておいて、相手に「何があったん?」と尋ねさせてからおもむろに話し出す…言わば“かまってちゃん”なのだ。
いつもなら僕もその意図を汲んでやるのだけど、その日はちょっとした悪戯心から、
聞こえないフリをしてみる事にした。
しばらくの沈黙の後、彼は「朝からエライ目に遭うたわー」ともう一度呟いたが、
それにも無視を決め込んでみた。
結局彼は、話を切り出す事がなかった。
その二日後に、三金は死んだ。
いつかあの世で三金と再会する日が来るだろう。
きっと彼はいつもの調子で、「出棺の時はエライ目に遭うたわー」などと呟いてくるに違いない。
その時は「何があったん?」と、今度こそ素直に聞いてやろうと思っている。
みんなに愛された噺家 桂文鹿
三金が噺家になって間もなく父上が他界され、その分、残されたお母ちゃんには過分な迄の愛情を注いでいた。
子供の頃から大切に情をもって育てられた「スレて無い人柄」が三金の全身には滲み出ている。
まさに愛されるべき風貌と知性と器用さを併せ持った噺家だった。
しかし世の中の「清」と「濁」を演じなければならない落語家にとって桂三金は清らかで、優し過ぎた。
人には見せなかったが中堅となった彼の課題でもあったことは否めない。
ご批判を受けるだろうが、いい時期に彼はこの世を去ったと私は思うんだ。
三金は24時間365日ずっと舞台に上がり続けたいと私に話したことがある。
恐らくこのコロナ禍を経験せずに天国に逝った三金は、
自粛の日々に苦悩し続ける我々とは違い、あの世で来る日も来る日も、
出囃子に乗って高座に上がり、再び人に愛され続けているはずだ。
夜中の誰もいない霊安室に横たわる三金の頬に、独りずっと顔を埋めてお別れをした。
三金師匠、ありがとうな。
稀有な噺家、桂三金 桂かい枝
三金が亡くなって10カ月。
僕自身まだ三金離れが出来ていない気がします。
同期の三金、文鹿、米紫、吉弥と僕の五人で始めた「ラクゴレンジャー」
色んな企画モノもやっていたので、顔を合わすことが多く、
お互いの悩みや苦労をぶっちゃけられる、
同期の中でも特に仲間と言う気持ちが強い存在でした。
いや、悩みをぶっちゃけてたのは僕だけだったようにも思います。
彼はずっと優しい笑顔で聞いてくれました。
中高大・社会人とずっと落研で、落語の知識も経験も豊富。
僕にとっては「落語の先生」とも言うべき存在でした。
気遣い屋で、誰に対しても嫌ごとを言うことは一切なく、
自分を犠牲にしてでも他人の為に汗をかく。
太っているから必要以上に汗をかく。
ほんまよく出来た人間でした。
新作の作り方も三金から色々教わりました。
オチを作るのが天才的に上手く、僕の新作のオチもいっぱい作ってもらいました。
NHKの新人コンクールで優勝したネタ、
「ハル子とカズ子」のオチを考えてくれたのも三金です。
僕は自分で作ったような顔してやってました。
古典落語で悩んだら相談するのはいつも三金でした。
三金が亡くなる直前、僕は独演会で「船弁慶」を出していたのですが、
本番前急遽、三金の小さな会に出させてもらいました。
嫌な顔一つせず、30分以上のネタをやらせてくれました。
終わってから的確なアドバイスもくれました。
そして本番の日(亡くなる10日前ですが)、
弟子の笑金を連れて独演会を観に来てくれました。
常に周りに気を使い、自分をネタにして場を盛り上げる姿勢は
プロとして本当にすごかったです。
笑金が入門して来た時、
「うちも弟子が来たで!」と自慢げにうれしそうに話してくれました。
素晴らしい奥様にも恵まれて本当にこれからというタイミングでした。
師匠に必要以上に気を使うことなく、
やりたい落語を思い切り出来る立場にこれからやっとなれる、
噺家としてこれからが一番いい時期でした。
未だに残念で、無念で、悔しくて、悲しくてやりきれない気持ちでいっぱいですが、
彼が愛情をいっぱい注いで育てていた弟子の笑金君が今頑張っています。
三金の忘形見として、同期みんなで盛り立てて行きたいと思います。
桂三金は最高にお人好しで、愛苦しくそして暑苦しく、
落語ファンからも裏方さんからも、
そして仲間の落語家からも心から愛された、稀有な噺家でした。
本当に、本当に、三金と出会えて幸せでした。
高座を大事にする男 桂 三金 林家菊丸
三金君のネタに、
「私、元銀行員です。銀行員から落語家へ華麗なる転落。
しかし、銀行員も落語家も共通点がございます。
それは、どちらも高座(口座)を大事にしております。」
というのがあります。
落語ファンなら、よくご存知のことでしょう。
しかし、これはただのネタではありません。
彼は本当に常日頃から高座を大事にし、そして大事にするがあまり、
ずいぶんと身体に無理を重ねていたように思います。
急死する前日の昨年11月8日、
この日の三金君のスケジュールは、まず堺市で高座を勤め、
繁昌亭昼席の出番にギリギリに間に合うように来て、
そして夜は明石市で高座を勤めるという非常にタイトなものでした。
つまり彼は、自分の芸が必要とされるのであれば、
可能な限り高座を引き受ける責任感の強い噺家なのです。
この日の繁昌亭昼席で僕と彼は出番を共にしました。
その週は我々平成6年入門組の同期による25周年ウィークと銘打った番組で、
この企画を考えたのも実は三金君でした。
彼は、アイデアマンで企画力に優れ、
そういった点でも高座を大事に捉えている噺家であったことがうかがえます。
この時の高座も自作の「奥野君の選挙」でよくウケていました。
悔しくなるくらいウケていました。
しかし、この繁昌亭昼席25周年ウィークの千秋楽を迎えずして公演6日目の夜、
なんの前触れもなく、突然この世を去っていきました。
死因は脳幹出血です。
初日の幕を賑やかに開け、花の平成6年組ここにあり、
とばかり連日好評をいただいていた公演が、
まさか千秋楽が三金君の追悼に変わってしまうなんて、一体誰に想像できたでしょうか。
こんなドラマチックな展開、彼のキャラクターには全く似合いません。
とどのつまり、「高座を大事にしております」と、普段から連呼しているがため、
それが自己暗示となり心身ともに無理が祟ったのでしょう。
三金君ほど気のおけない人間は他にいません。
自慢のデブキャラをいつもみんなにイジられ、
またそれに応えるがごとく食事の場では大食いぶりを見せて笑わせ、
でも結局それらはすべて、’高座を大事にする’ためのキャラクター作りだったのかもしれません。
皮肉なことに亡くなって初めてわかった三金君の気遣い、
苦労、努力、優しさ、いろんなことに改めて気付かされました。
しかし、それをちゃんと見て評価をしてくれる人達はいるんですね。
見事に繁昌亭大賞受賞という形で讃えられました。
三金君、良かったな、おめでとう!そして、ありがとう!
桂三金という落語家 桂吉弥
私と桂三金は昭和46年生まれで、しかも早生まれ。
入門も平成6年というまるっきりの同期でした。
落語研究会出身というとこも一緒で、
JR大阪駅ビルにあった朝日放送の駅スタで
「大学対抗爆笑マッチ」で一緒になりました。
「あの時に吉弥がやった道具屋な、
時間を短くせんといかんから笛だけ持って行って・・・
面白かったわ。タイトルを笛屋にしてまたやったら」
なんて言うてくれました。
アイデアマンで、人の落語へのアドバイスくれたり、
落語会を企画してくれたり、ありがたい男です。
ええ人は早よ逝くってホンマやなあ、三金。
可愛い嫁さんもろて、弟子も出来て、これからどんどん稼げたのになあ。
お母さんにももっと親孝行せなアカンかったのに、アホやで、もう。
三金のおかげで始まった落語会や、面白くなったネタ、山のようにあります。
君と一緒にいて「俺もやれるんちゃうか、面白いんちゃうか、頑張ってみよう!」
と励まされた落語家も二人はおるよ、俺と桂かい枝君や。
いや、他にももっとおるやろなあ。
桂三金としての25年間で、落語の世界に及ぼした影響は計り知れないんやで三金。せやから、もうちょっとおらなあかんかったんよ。
今、世界はえらいことになってる。
落語会3ヶ月出来へんかった、お客さんもいっぱい呼ばれへん。
こんな時に三金なら
「おい、吉弥!面白いこと考えたんやけど、一緒にやらへんか」
って電話くれたんやろうなあ。
君がいない今、何とか頑張ってやってみるわ。
また夢に出てきて教えてくれ!
とにかく大食漢でした。
自分のキャラを維持するために無理に食べてるのかと思うぐらいに。
私(桂枝女太)の独演会に出てもらったときの打ち上げが焼き肉。
三金のときに限ってなぜ焼き肉と後悔しましたが、
彼の気遣いでしょうか、肉のお代わりはほどほどに、
そのぶん白ご飯は何杯か分からないぐらい食べてました。
もう一度楽屋で、あの風船で楽しませてもらいたかった。
次回は笑福亭鶴志さんの追悼です。
桂枝女太