公益社団法人 上方落語協会

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会長のご挨拶 9月

 いつも上方落語をご贔屓いただきありがとうございます。

 毎年9月第1土日、天王寺区の生國魂神社の境内で、上方落語協会のファン感謝デー「彦八まつり」が開催されます。今年も、8月31日、9月1日の両日、約10万人の人出で賑わいました。実行委員長、桂文福さんの企画で河内音頭の櫓が組まれ、「彦八音頭」が御披露目され、賑やかにスタート。噺家屋台、奉納落語会、ステージでは噺家演芸バトル、噺家のど自慢、噺家バンドステージなど賑やかなプログラムが続き、フィナーレは河内音頭の総踊り、「生玉締め」でお開きとなりました。事故なく終了してホッとしています。
 第30回を迎える来年の実行委員長は、上方落語界の重鎮、桂福団治師匠です。噺家60周年のお忙しい年ですが、お願いに伺ったところ二つ返事でご快諾頂きました。ご期待ください。

 さて、今回は「米澤彦八」について少しご紹介させて頂きます。
 大阪落語の祖と謂われるのが、米澤彦八です。時代は、江戸時代前期、元禄前後。元禄(1688-1704)と言えば、元禄文化、武家から町人に文化の担い手が移り、文芸の西鶴、俳諧の芭蕉、劇作家の近松門左衛門が活躍。
 芸術では、尾形光琳、菱川師宣が現れ、演劇で人形浄瑠璃、歌舞伎が大成。赤穂浪士の討ち入りも元禄。思えば、文化のうねりを感じる節目の時代に落語家も誕生、活躍したのです。残念ながら、他の芸能ほど詳しい資料・文献は残っていませんが、幾人かの研究者によって、おぼろげですが明らかにされています。
 舞台は、大坂・生玉さん(生國魂神社)。当時、鳥居前では、今のフリマブースのようによしず張りの小屋で色んな芸人が、色んな芸でお客さんを喜ばせていたようです。(「御入部伽羅女」1710年、の挿し絵)
 中でも米澤彦八は、軽口(オチのある話)や、仕方物真似(歌舞伎役者の台詞やしぐさの物真似、大名の物真似)で、人気を博していました。前半に軽口、そして仕方物真似で締める構成だったようです。京都の上方落語の祖と謂われる露の五郎兵衛は、笑い話をまとめた「醒睡笑」(江戸初期、安楽庵策伝)の話を題材にしたものが多かったようですが、彦八のそれはオリジナル中心だったと言うことで才能の豊かさが伺えます。また、大名の物真似で笑いをとるという当時としては、大胆で誠に大坂らしい芸風だと思います。
 そして、「有馬小便」「寿限無」「貧乏神」など、彦八創作の軽口を改作した噺が、今なお上方落語で演じられていることが、上方落語の祖と謂われる所以です。また、歌舞伎役者の物真似は、上方落語の芝居噺の始祖でもあったといえます。
 その米澤彦八を顕彰する碑が笑福亭松鶴一門によって建てられたのが、平成2年。そして、米澤彦八を讃え、お客様に感謝するまつり、彦八まつりがその翌年から始まりました。

 

 生國魂神社の神職さんに伺ったら、本殿は建て替えの度に、創建当時とまったく同じ様式で建てられるそうで、今拝む本殿と同じものを米澤彦八も眺めていたと思うと、落語家のはしくれとして感慨深いものがあります。
 逆に米澤彦八は、まさか300年後に落語家が大阪に270人もいるとは想像もしなかったでしょう。(「そない要らんやろ」彦八談?)

 協会が出来、上方落語の定席「天満天神繁昌亭」がオープンして13年、いよいよ9月15日14年目になります。さて、100年後、200年後に上方落語は、どうなっているか。
うまく次の時代に繋ぎたいものです。

 末長いご贔屓お願い申し上げます。

                      上方落語協会
                     会長 笑福亭仁智

 

 

 

 

 

 

 

 

生國魂神社の境内にある【米澤彦八の碑】