明治の隆盛と昭和の衰退
戦後復興
- 昭和25年~28年
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笑福亭松鶴・桂春團治・立花家花橘・桂米團治が相次いで亡くなり、
「上方落語は滅んだ」と報道される。
上方落語協会設立前史
- 昭和28年5月24日
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上方落語の意気を見せようと「大阪落語倶楽部」が発足。
月に一度料亭「暫」を会場に落語会を開催。
名を連ねたのは次の36名。橘ノ圓都・橘家圓坊・橘家小圓太(五代)・林家染語楼(三代 染丸)・林家小染(三代 染語楼)
・林家染輔・笑福亭光鶴(六代 松鶴)・笑福亭松之助・笑福亭小つる(和多田勝)・三遊亭志ん蔵
・三遊亭花遊三・文の家かしく(三代 笑福亭福松)・文の家恋しく・文の家文福・桂文團治(四代)
・桂福團治(三代 春團治)・桂南天・桂米朝・桂春治・桂春坊(二代 露の五郎兵衛)
・桂春太郎(三代 玉團治)・桂米治郎・桂米之助・桂文枝(四代)・桂文吾(五代)
・桂小文吾・桂輔力・桂團治・桂藤松・桂米太郎
・桂小米喬・桂麦團治・桂梅團治(二代 三遊亭百生)・桂文蝶・桂小さん・旭堂小南陵(講談師〉。
- 昭和29年3月21日
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「戎松落語日曜会」が大阪日日新聞社の主催で再開。
- 昭和31年12月
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若手落語家の忘年会席上で、親睦団体もしくは協会結成の機運高まる。
- 昭和32年3月23日
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「大阪落語親睦会」の結成を予定するも、さらに議論を重ねることとなる。
上方落語協会誕生
- 昭和32年4月1日
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この前後に持たれた議論の経緯から、
後にこの日を「上方落語協会創立日」と定める。
- 昭和32年4月12日
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「大阪落語親睦会」結成の検討から「上方落語協会」設立へ。
規約及び役員について話し合われる。
- 昭和32年4月18日
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三代 林家染丸を会長に、「上方落語協会」が結成される。
(公式な設立日は後に4月1日とした)
会員18名と名誉会員5名。– 会長 –
林家染丸(三代)– 幹事 –
笑福亭枝鶴(六代 松鶴)・桂福團治(三代 春團治)・桂米朝
・桂小文枝(五代 文枝)・旭堂小南陵(三代 南陵)– 会員 –
桂米之助・笑福亭松之助・桂我太呂(三代 文我)・桂小春(祝々亭舶伝)
・桂文光(四代 文紅)・桂米治郎・橘家円之助・笑福亭小つる(和多田勝)
・笑福亭福三郎・笑福亭福郎(初代 森乃福郎)・笑福亭福柳・文の家速達– 名誉会員 –
旭堂南陵(二代)・橘ノ圓都・笑福亭福松(三代)
・桂文團治(四代)・桂文枝(四代)
協会員50名を目指す
- 昭和35年1月1日
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「上方落語協会会員名簿」発行される。
掲載されたのはお囃子も含め35名、会員は25名。– 会長 –
林家染丸(三代)– 幹事 –
笑福亭枝鶴(六代 松鶴)・桂米朝・桂春團治(三代)・桂文紅– 会計 –
旭堂小南陵(三代 南陵)・桂小文枝(五代 文枝)– 顧問 –
旭堂南陵(二代)・桂文團治(四代)・橘ノ圓都・笑福亭福松(三代)– 会員 –
笑福亭松之助・桂米之助・笑福亭小つる(和多田勝)・桂米治郎
・桂小春(祝々亭舶伝)・桂我太呂(三代 文我)・橘家円之助・笑福亭福三郎
・笑福亭福郎(初代 森乃福郎)・桂小福・桂木久丸・林家染奴(月亭可朝)
・一・一(三代 林家染語楼)・桂春坊(二代 露の五郎兵衛)・笑福亭花丸
・桂一春(四代 福團治)・桂若春・桂玉團治(三代)– 囃子 –
林家とみ・瀧野光子・見波よし・池中スエ・上戸八重子・平松元女
- 昭和40年9月4日
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「角座落語会」始まる。
42年8月12日には「うめだ花月上方落語会」がはじまり、
漫才が中心であった演芸場で、通常興行とは別に
定期的に落語だけの会が開催される。
上方落語ブーム到来
- 昭和47年8月12日
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若手落語家の勉強の場として協会協賛で「岩田寄席」が始まる。
地域寄席の先駆け。
- 昭和47年12月
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第1回「上方お笑い大賞」に笑福亭松鶴と桂米朝が選ばれる。
上方落語ブーム到来の象徴的なできごと。
- 昭和50年12月
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朝日新聞と協会の共催で歳末助け合い
「朝日上方落語名人選」がこの年から始まる。
協会設立
四半世紀を経て
- 昭和56年11月
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笑福亭松鶴が上方落語界初の紫綬褒章を受章。
上方落語の復興に尽くした功績が受章理由。この年、協会員が100名を突破する。
- 昭和59年4月
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「島之内寄席」が料亭暫に移転し「島之内寄席 暫亭」として再開する。
- 昭和62年11月
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「島之内寄席」が心斎橋・CBカレッジに移転。
- 平成8年4月19日
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桂米朝が上方落語界初の重要文化財保持者(人間国宝)に認定される。
- 平成8年11月15日
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大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)がオープンする。
「島之内寄席」が翌年4月からワッハ上方レッスンルームに移る。
- 平成11年4月10日
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上方落語の祖の一人とされる露の五郎兵衛の顕彰碑が、
京都北野天満宮境内に建立される。
新たな時代へ
- 平成16年8月25日
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社団法人化して正式名称が「社団法人上方落語協会」となる。
桂三枝が社団法人上方落語協会 会長に就任。
- 平成19年11月
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繁昌亭のスターを作ることを目的に、
入門25年以下の中堅・若手を対象に贈られる
「繁昌亭大賞」(大賞・奨励賞・爆笑賞・創作賞・輝き賞)が制定され、
第1回大賞に笑福亭三喬が選ばれる。(輝き賞は入門10年以下)
- 平成20年10月28日
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第1回「上方落語台本募集」の審査結果を発表。
433作の中から、大賞には「天神祭」(冨田龍一作)が選ばれた。
- 平成20年12月
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協会員が200名を超える。
- 平成23年4月1日
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3月に内閣府より公益社団法人の移行認定を受け、
「公益社団法人上方落語協会」に移行登記する。
- 平成25年8月
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天満天神繁昌亭の入場者数が100万人を突破。
- 平成27年11月21日
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昭和20年11月21日に四天王寺本坊客殿で
「落語研究『上方はなし』を聴く会」が開催されたことを顕彰し、
天満天神繁昌亭で「終戦後復活落語70周年記念 落語会」を開催。
- 平成28年10月11日
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午後9時45分に開演する
深夜寄席「乙夜(いつや)寄席」が天満天神繁昌亭でスタート。
- 現在
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上方落語の歴史は脈々と受け継がれる。