前回の続きから…
3)お寿司を食べることもなく次なる目的地へ。お初天神を出ますとまーっすぐの一本道で行けると言われた十三(じゅうそう)の渡しへと向かいます。
曽根崎お初天神通り商店街を北上、そのまままーっすぐいくと大阪駅の東側、阪急HEP FIVEへぶつかります。北浜でぶつからなかった分ココでぶつかっときましょ。そこからは一本道ではなかったので仕方なくうねうねと北上。淀屋橋を出発してから約1時間、済生会中津病院の前にやってまいりました。別に先ほどぶつけた頭を治療しに来たわけではありませんよ。昔はココらあたりからが旧街道の一つ、能勢街道が始まっていたようです。
能勢街道とは、中津一丁目から池田市を経て能勢妙見宮や亀岡へと至る旧街道のことをいいます。正確な起点はこの病院より北にあるローソン中津一丁目店あたりだったそう。
昔はこのあたりを中国街道が東西に通っていて、それとの分岐地点でもあるこの場所には萩の橋というのがあったそうで、碑が今でも残っています。
お初天神を出てからの一本道とはこの能勢街道を指すのかな?どうやら喜六はこのあと能勢街道を通って池田を目指したようなので、我々もこの街道を通って池田に向かうことにいたしましょう。いざ、十三の渡し船へ!
…と思ったら、今はその渡し船は十三橋という木橋――現存せず――ができたことにより廃止になっておりました。これは困った、どうやって渡りましょう…。自分らで用意して船で渡ろか?泳いで渡ろか?それではことが大胆な。ほたらどないしょ?…ネタはさておき、若干遠回りになりますがこの病院前から十三駅へと向かう十三大橋を渡ることにしました。
ホームが狭いことで有名な阪急中津駅の前を通り、そのままさらにドンドンと進んで淀川にかかります。
この淀川も十三大橋あたりでは新淀川というのが正式名称です。…またこのパターンかいな。本来の淀川というのは今の毛馬閘門(けまこうもん)あたりから大川へと流れていたほうを指すのやそうで、こっち方面には中津川という名前で川がありました。ところがこの中津川は非常にクネクネした川だったそうで、さらに淀川というのはよく氾濫したこともあり、治水対策として新しい川の開削が決まります。中津川をドンドンと埋めていき、代わりにサクサクと開削していき、明治42年にまーっすぐな新淀川が完成しましたとさ。めでたしめでたし。
そんな由来のある川なので川幅も広い!だから十三大橋も非常にながーい!歩くのが嫌になるぐらい長い。それもそのはず、約700メートルもあるんですって奥さん。でも渡らないと次に進めないので快晴の寒空の下、そばに行きかう阪急電車と車の轟音をBGMにひたすらテクテク。ただただ歩いているだけですが、恭瓶カメラマンは一生懸命に写真を撮ってくれてます。ちょっと後ろから我々の写真を撮っては走って追いつき、また撮っては追いつく。いろんな写真、本当にありがとうございます!…ただ、おっちゃんたちの後ろ姿はあまり映えませんな(笑)
【映えない後ろ姿】
約20分ほどかけてようやく十三大橋北詰へと到着。そこには十三渡し跡の碑と、丁寧な説明書きがありました。これによると渡し船廃止の理由となった木橋の十三橋は明治11年に完成とのこと。となると、池田の猪買いで「十三の渡しを渡って」と言っているということは、時代設定としては明治11年までのお話になるということになるんですね。勉強になりました!
さらに新旧の地図で中津川と新淀川の比較もありました。渡しの北の乗り場跡はココですが、南の乗り場跡はいまや川底に。つまり川幅は数倍も広くなったんですね。こんなに大きくせなアカンぐらいに治水の必要に駆られていたとは、昔はよっぽど氾濫しまくりだったんでしょうね。
先人たちの苦労の甲斐あって平穏な毎日、ありがたやぁ。十三の地で噺家としても大人としても何倍も成長した一同でした。…ん?どれくらい成長したかって?それはやっぱり十三だけに13倍成長。…失礼しました。
【十三大橋と淀川。北詰より撮影】
【十三渡し跡の碑と看板】
4)淀屋橋から出発から約1時間半、今度は《三国の渡し》へと向かいます。といっても十三の渡しと同様渡し船は現存しませんので、なるだけ能勢街道に沿って進むことにします。
十三(じゅうそう)という、放出と並んで大阪難読地名クイズに必ず入るこの地域、由来は先ほどの渡し船が淀川の上流より数えて13番目にあったからという説などがあります。そんな地にある阪急電車の十三駅から東に進んで行って神津(かみつ)神社辺りより進路を北へ。十三小学校あたりでようやく能勢街道に入ることができました。あとはこのまま街道を進めば池田へ着けるはずです。待っていろ猪肉!
十三から三国へと向かう道中の景色は今までと比べちょっとずつ変化していきます。お店や民家があるかと思えば工場ばかりになってきたり、道も狭くてうねうねしていたかと思うとまっすぐ広い道になったり。ひょっとすると昔のこの辺りは集落も外れてあまり人の手の入っていないようなところだったのですかね?だから後に開発するときには便利なように作ったのかも。そんな歴史を考えながらドンドコどんどこ、ただひたすらに黙々と進みます。つまりそんなに食いつくようなスポットがなかったのです(笑)
そんななか枝女太師は色々とご存知。「あそこのマンションには〇〇が住んでいる」「ここの道は再開発で広なった」「そこの店は〇〇さんの実家」など町内の奥様並みの情報量。聞くと地元が近く、昔からこの辺りは庭みたいなもんだったそうです。
そんな枝女太師の案内のもと、阪急電車の三国駅をやや過ぎてから左へ曲がります。能勢街道もここでヒョイと曲がるのです。現代の開発のせいで道も変わっているんでしょうが、この交差点はボーっとしていたら見落としてしまいそう。ひょっとしたら喜六は意外としっかりしていたのかも…?
そこからちょいと進んて到着したのが三国橋。ここが神崎川を越えるための三国の渡しがあったところです。南詰にある碑によると三国の渡しは歴史が古く、約660年ほど前からあったそうな。能勢・池田地方の特産品を大阪地方に運ぶための港として重要な地であったとされています。明治6年の三国橋架橋に伴い渡し船は廃止となっておりますので、池田の猪買いはさらに明治6年までの話ということになるのですね!いやー、やっぱり何事も自分の足で確かめに行かなわからんこともあるもんですなぁ。
【三国の渡し跡】
皆でへーへーほーほーと感心していたら、枝女太師が「実はこの三国橋は僕にとっても青春時代の思い出の地やねん」と。青春時代の思い出…もしや初恋相手とデートした場所とか!?甘酸っぱい恋の話でも聞けるのかとワクワクしていたら、「はじめて原付の免許を取った時に楽しく乗り回しててココも通ったんやけど、そしたら一方通行を逆走してたのに気づかず、橋のたもとの交番でお巡りさんに交通違反の切符を切られてん。つまり初違反の場所やねん。」…甘酸っぱいんやなくて、辛酸を舐めたお話でした。皆さま、交通ルールは守りましょうね。
【若気の至りを語る枝女太】
5)交通ルールを守る大切さを学んだ?我々は三国橋を渡り豊中市へ入りました。今度は服部の天神さんを目指します。
淀屋橋を出発して約2時間、ぼちぼちとお腹も空いてきたなぁっと思いながら、能勢街道をまだまだ北上します。街道の様子も先ほどまでと比べると道幅はやや狭くなり民家も目立つようになってきました。さらに途中には能勢街道の碑も発見。まさしくこの道が街道であったっということがよくわかります。建物や道路の様子などは違えども、喜六もこんな景色を眺めながら池田へ向かったのかなぁ。なんて思いをはせながら楽し気に足を進めていきます。まだ全体の3分の1ほどしか来ていなく、これからドンドンとしんどくなっていくこともつゆ知らず…。
【能勢街道の碑と道】
そのうちに右手側から天竺(てんじく)川が現れます。この天竺川、はるか遠くインドから流れてきて…は嘘です、豊中市北部の千里丘陵より流れてきて神崎川に合流する河川で、両岸には松の木が多数植わっているそうな。能勢街道はこの天竺川沿いに進み、途中で川が東へ向き始めたあたりから街道は西へと離れていきます。その後は名神高速道路が交差する稲津町交差点あたりより北上。国道176号線と同じルートなので大きな道です。しばらくは阪急電車宝塚線と並行することになります。
お昼時分だったので休憩も取りながら、途中ニュースで大変話題にもなった例の小学校予定地へ立ち寄ったりもしながら、なんだかんだで開始から約3時間が経過。普段3時間も歩くことなんて無いもんですから、日ごろの運動不足という行いの悪さを少しずつ足の痛みという形で感じてくるようになりました。
池田の猪買いのネタの時代はわらじ履きが当たり前で、道も舗装なんかされていなかったはず。歩きやすい靴で舗装された道を歩いている我々よりもずっと悪条件だったのに、街道として往来があったということは、昔の人はよっぽど丈夫だったか、もしくはそれ以上に猪肉への執念が強かったか。猪肉なんて今日び通販でも買える現代と比べるとなんと手間のかかることか。なんにせよ思います、今の時代に生まれてきてよかった!おかあちゃんありがとう!
目まぐるしく行きかう車、お昼食べたばかりなのに食欲をそそる店など、賑やかな景色の国道をトボトボと北上していると、突如左手の方向に現れた大きな赤い鳥居。ようやく服部天神宮へ到着しました。
佇まいもなかなか壮大で立派なこちらは、元サッカー日本代表でメキシコオリンピックでは得点王にも輝いた釜本邦茂さんがよくお参りに来ていたそうです。というのも昔、菅原道真公が京都から太宰府へ赴く途中にこの地で持病の脚気が悪化し動けなくなってしまったそうですが、この神社で平癒を祈念したところたちまちに回復したという出来事があったそうな。この故事にちなんで「足の神様」としても有名なんだとか。なんとタイムリー!狙っていたのかもと思うぐらいぴったりなタイミングで到着できました。神様ありがとうございます!
ここに来るだけで親と神様のありがたさを実感できる服部天神宮、皆様もよろしければ一度お参りくださいませ。阪急宝塚線・服部天神駅降りてすぐなので電車でも行けますが、それではありがたみが少ないことを身に沁みて感じたということを付け加えておきます。お参りの際には是非大阪から約3時間歩いてお越しを(笑)
【服部天神】
【お参り中。…鐘が二つ!?】
本日はここまで。
次回の更新は2/28(金)です!続きをどうぞお楽しみに!
文・林家愛染
写真・笑福亭恭瓶