前回の「めがね橋」に続き、今回特別編としてご紹介するのは、先年他界した三代目桂米朝のお墓です。
上方落語「皿屋敷」の舞台でもある姫路にその墓所はあります。米朝は、生まれこそ関東州普蘭店(現 遼寧省大連市)でしたが、もともと姫路にそのルーツがあり、祖父の代から「九所御霊天神社」で神職を務める家系でした。
米朝自身も宮司になるはずだったのですが、旧制姫路中学卒業後、東京の大東文化学院に進学した折、以前からの演芸好きが高じて寄席通いを始め(上京した本来の目的は学業より、こちらにあったようで)その時、演芸評論家の正岡容との奇跡的な出会いから落語家への道に進むことになるのです…おっと、今回は名所案内なので、その後の話は、また別の機会にさせていただくとして、話をお墓に戻しましょう。
ユネスコ世界遺産にも登録されている国宝姫路城。その西に位置する名古山霊苑の中に「名誉えい地」という区画があり、そこに名誉市民であった米朝(2015年3月19日没)の墓所を建ててほしいとの話が、2015年夏に、姫路市から息子である中川 明(米團治)、透、渉の兄弟にあり、三人でいろいろ相談した上、承諾したそうです。
年が替わった2016年1月に、九所御霊天神社の東隣にある、宝積寺の住職から紹介された石材店「石隆」の方と、わざわざ四国にまで足を運び、御影石(花崗岩)の中でも最も質の高い庵治石(あじいし)を墓石に使う事と決め、そこから4月に平面図、立面図、墓碑の文案を作成、8月には全ての内容が確定し、10月に施工開始。
そして、米朝の誕生日である11月6日のお昼に納骨があり、午後から一門および関係者、各マスコミにお披露目が行われました。
完成した名誉市民墓は、間口約6メートル、奥行き約5メートルの敷地中央に、高さ約1.6メートルの墓石を設け、その前後左右に敷石、斜め前方両側に腰を下ろして休めるベンチ、後方2か所には故人が生前に詠んだ句碑を配置。
これは、墓を上から見ると「米」の字を模したデザインになっていて、次男である透のアイデアだということです。
なお、句碑に刻まれているのは「車など 要らぬ朧の ひがし山(春)」「建仁寺 ぬけてみようか 蝉しぐれ(夏)」「風呂敷の 柿としらるる みやげかな(秋)」「打ち水の 打ったるままに 凍りけり(冬)」と、四季折々のものが選ばれ、また正面から見て右横には、米朝の略歴を記した石碑が建てられて、これまでの足跡を垣間見ることができる。
お墓ではありますが、モニュメントとしての意味合いも兼ねた場所なので、ご興味があれば、是非とも足をお運び下さい。 文中敬称略
アクセスは、姫路駅北口より、神姫バス「今宿循環線」で「車崎」下車、徒歩10分が最短だと思われますが、墓地の前に10台ほどの駐車スペース(無料)があるので、自家用車の方はそちらでどうぞ。 (2021年6月現在)
文 桂 米平
取材協力・写真提供 桂 米団治 中川 渉 (株)米朝事務所