サークルや部活動と聞くと学生時代を思い出しますが、社会に出てからも余暇を利用し、スポーツジムに通ったり、カルチャーセンターで趣味の時間を過ごすというのはよくあることです。
我が上方落語協会にも、そういう同好の士の集まりがいくつかありますので、その中から今回は「お針部」をご紹介いたしましょう。
落語家にとって着物は命の次に大切・・・とは大袈裟ですが、無くてはならないものに違いはありません。
数年前、ある打ち上げの席で「袖口のほつれや長襦袢の襟替えなど、わざわざ呉服屋に頼むほどでもないものを自分たちで出来ないだろうか」と話していたのが、露の都と桂文之助、そして寄席三味線の勝正子。
勝は高校卒業とともに寄席囃子の世界に入りたかったそうですが、親から「三味線がやりたければ、和裁の専門学校に行くこと」という交換条件を突き付けられ、5年間みっちり勉強し、嫁入りの際には自分の着物一式をすべて縫い上げたという腕前。
その経歴を生かし、勝を講師に迎え、部長には都が就任していよいよ部活がスタート。
今は月に一度、上方落語協会会館2階で午後1時から4時まで開催しています。ただ当日に都合のつかない部員も多く、取材の日も部長の都はお休みで、集まったのは文之助、笑福亭右喬、桂歌之助、三味線の入谷和女、はやしや香穂、そして講師の勝の6名。普段はその他に桂花団治、林家染雀、三味線の佐々木千華が主要メンバーとして顔を揃えるとのこと。
活動内容は、各々が作りたい物を持ち込み、講師の指導の下、製作に没頭するというものなのですが、今回の取材はこれが厄介で、全員が手先に神経を集中しているため記者の質問に対してほとんど何も喋らないという落語家にあるまじき行動に出るのです。
まぁそれだけ一生懸命ということなんでしょうが、・・・仕方なくしばらく様子を見ていて感じたのは、全員が非常に楽しそうであるということ。
女性陣2名はそれぞれ、和女が三味線の天神(最上部のところ)に被せる袋を、香穂は袷の着物を単衣に直す作業をし、右喬は師匠の形見の羽織紐の坪(羽織の乳に付ける輪っかの部分)の修繕、歌之助が肌襦袢を一から製作中と皆が黙々と手を動かすも決して笑顔は絶やさない。そしてこの日、最古参の文之助は長襦袢の半襟をわずか1時間20分ほどで縫い上げたのはまさに「好きこそものの上手なれ」。
最初はほとんどの部員が長襦袢の襟替えが出来る程度になれば十分と考えていたということですが、色々と覚えるごとに和裁が面白くなり、どんどん他の物に挑戦したくなってきたといいます。ただ当初は針で指を突くようなことも日常茶飯事だったそうで、まさに血のにじむ努力があってこそが現在の技術の向上に繋がっているのかもしれません。
講師曰く「糸の縫い目にはその人の精神面が出る。落ち着いているときには正確な針目になるが、余計なことを考えているとガサガサになる」とは、なるほど・・・いと(糸)おかし。
2019年6月25日 上方落語協会会館にて
(文中敬称略)
文・桂米平