(繁昌亭の目の前、この看板が目印)
今回は繁昌亭のすぐ目の前にあるお店のご紹介です。
「喫茶ケルン」
推薦は「んなあほな」初代編集長、現在は上方落語協会宴会部長の桂文福さんです。
――繁昌亭がオープンする前からのお知り合いやそうで。
文福(以下、文)「知りあいっちゅうかね、ここに繁昌亭ができるということが決まって、下見なんかで何回も来てるうちに、ここのママさんが、暑いのにご苦労さん、まぁお茶でも飲んで行かはったらどうですかって声をかけてくれたんがきっかけでね」
(桂文福さん)
――では繁昌亭オープン前からですか?
文「そうそう、そやからもう14年近くになるかな」
――お店はかなり以前からあったんですか?
マスター(以下、マ)「昭和47年に開店しましたから今年で46年目になりますかな。今は繁昌亭ができて落語家さんはじめ芸人さんがよう来てくれますけど、当時は読売テレビが近所にあったんで、開店当時から芸能関係の人はよう来てくれてました」
(マスターの井上和彦さん)
(落語家はじめ様々な芸能人が)
――長いんですねぇ。
繁昌亭の目の前ですから、落語家や色物の人たちはわかるんですけど、
お笑い以外の芸能人もよく来られますよね。やはり当時のことが…。
マ「いやそれはあんまり関係ないですわ。けどいろんな繋がりで来てくださいます」
文「そらもう芸能界には顔が広いというかね、近藤正臣さんなんかも友達やしね、NHKの朝ドラの「ごちそうさん」の東出昌大くんと杏ちゃんなんかよう来てたしね。東出くんなんかここでバイトしてたんやから」
――えっ、あの東出昌大さんがですか?
マ「バイトいうても番組の役作りの経験のためやけどね。ほんの数日間。
繁昌亭でもバイトしてたんとちがうかな」
文「まだそのときは東出君もそう売れてるわけやなかったから、あのイケメンは誰の弟子さん?とか言われてたそうや」
マ「その後二人は結婚されてね、それからもプライベートでもお付き合いさせてもろてます」
――私もこのお店で近藤正臣さんとお話しさせてもらったことがあります。緊張したな。繁昌亭ができてからは落語家が毎日のように来て、打ち合わせに使ったりとか、なんか第二の楽屋みたいな感じになってますね。
マ「繁昌亭ができた当時は、若手の子が先輩からひどく怒られたときなんか、うちのトイレでよう泣いてましたよ」
――そんなこともあったんですか。繁昌亭ができてから忙しくなりました?
マ「最近はちょっと落ち着いてきましたけど、できて5~6年はそら忙しかった。名物メニューもできましたしね」
――繁昌亭カレーですね。
文「スプーンの紙、これ俺やで俺」
――言われなくてもわかってます。
マ「玉子サンドなんかも前からあったんやけど、開演前にお客さんがちょっとお腹に入れるようにと、ハーフサンドにしたらえらい評判が良くて。
食べてるときに開場を知らせる一番太鼓が鳴りだすと急いで食べて出て行かはる。その一番太鼓の音が心地良うてね」
――ご夫婦でされてましたが、奥様が・・・
マ「1年半ほど前ですな、亡くなりました」
文「最初に声をかけてくれたお母ちゃん、ホンマにええ人やったけど残念ながらな。けど嬉しいことに、30年近く重機の整備士をやってた息子さんが、
社長さんが辞めんといてくれというのを振り切って、会社を辞めて店を継いでくれることになりました。それだけやないで、息子さんの近い将来の奥さんになる人が、なんと栄養士さん。これからはメニューが増えるかもわかりまへんで」
(中央が息子さんの井上克己さん)
――それは楽しみですね、ていうか良かったです。我々もこのお店が無くなったらそら寂しいですもん。
文「我々が跡を継いでやるとかね」
――それだいぶ前にきん枝兄さんが言うてました。上方落語協会が買い取って若い落語家にさしたらどないやって。そんな簡単なもんやないと思うけど。
マ「まぁ私は一線を引いて、息子にすべて任そうと思ってます。これからもよろしくお願いします」
営業中にもかかわらず1時間以上インタビューにお付き合いいただきました。代替わりをしてもマスターはまだまだお店に出られるでしょうし、息子さんも気さくな人で、我々落語家の憩いの場、そしてお客様と我々をつなぐ場としてますますの繁昌を願っております。
場所は繁昌亭のすぐ前。定休日は土曜日です。その他たまに不定期にお休みになることもありますが、そのときはきっとマスターが文福さんに連れらて相撲を見に行ってるんでしょう。
インタビュー・文 桂枝女太
お店情報
喫茶ケルン
06-6353-6264
繁昌亭の目の前
営業時間:[月~金] 9:00~18:00
[日・祝] 9:00~17:00
定休日:土曜日
詳しくは「食べログ」にて
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27019591/