将来の名人

将来の名人に聞く 【桂弥っこ】

桂弥っこ かつら・やっこ
島根県雲南市出身
2014年2月 桂吉弥に入門

小泉八雲原作の怪談を落語化
「何するかわからん落語家でいたい」

文・桂弥太郎

≪落語に出会ったきっかけは「山仲間」の一言だった≫

──改めて、落語家になろうと思ったきっかけを教えてください。
大学時代に、同級生が「桂枝雀師匠って人がおって、こんなんあるで」と教えてくれたんです。
「音源で聴いてみたら?」と言われて、枝雀師匠のDVDを貸してもらって観たのが最初のきっかけですね。「落語ってこんなにおもしろいんや」と思いました。

その頃、群馬県高崎市にある高崎経済大学に通ってたんですけど、そこから東京まで出て、初めて生で落語を聴きに行きました。それが決定打になりました。

──その友達が貸してくれたのが、映画とかじゃなくて「落語のDVD」っていうのがすごいよね。お笑いサークルの友達とか?

いえ、僕はワンダーフォーゲル部だったので、山登りの友達です。

 

──山仲間が桂枝雀師匠を紹介してくれて、そこから落語の道に進むって、ドラマあるなぁ。その友達は大恩人ですね。

大恩人です。

≪「新しいことをやりたい」 高校時代のフォークソング同好会≫

──昔から「人前に出る」ことには興味あったんですか?

そうですね。昔から新しいことをやりたい気持ちはありました。高校のとき、軽音楽部がなかったので「作ろう」としたんです。

──バンドブームでもない時代に?

そうです(笑)。僕が発起人で立ち上げようとしたら、「防音室がないからフォークソング同好会で我慢してくれ」と言われまして。
結局、フォークソング同好会としてスタートしたんですけど、僕は途中で辞めてしまって……。
後から聞いたら、そのフォークソング同好会って、うちの高校の先輩、俳優の佐野史郎さんが始めた同好会で、一度途切れていたのを僕が復活させた形だったらしいんです。

──それ、本人に伝えなあかんやつやん。

去年お会いする機会があって、お伝えしました。喜んでくださいました。

──高校時代は演奏も人前でしてたんですか?

文化祭程度ですけど、ギターで出てました。歌うというよりギター担当でしたね。

≪いったん就職してから「落語のために辞めた」≫

──そこからすぐ弟子入りではなく、いったん就職するんですよね。

はい。一度就職しました。でも1年ちょっとで辞めました。

──それは落語とは関係なく?

いえ、落語のために辞めました。「落語家になりたい」という気持ちが抑えられなくなって。
その1年ちょっとの間に、浜松で働きながら大阪まで通って、米朝一門会を聴きに行くようになったんです。最初のきっかけは枝雀師匠でしたけど、通っているうちに、うちの師匠(桂吉弥)の高座を何度も観るようになって、「この師匠に入門したい」と思うようになりました。

≪ABCスタジオから寝屋川へ走った!──入門志願の出待ち≫

──弟子入りは、どういうふうに申し込んだんですか?

決意してからは、サラリーマンを続けながら、楽屋口で出待ちをしていました。
最初はABCラジオの収録終わりで出待ちしようとしたんですけど、出待ちする場所が難しいんですよね。うちの師匠は車で来てはって、赤いプレマシーに乗ってらしたんですけど、「あのフォルムは絶対師匠や!」と思って。
ラジオで「今から堺に行きます」みたいなことをしゃべってはったので、ナンバーを覚えて、そのまま堺の会場まで追いかけました(笑)。
でも、会場の出入口がわからなくて、うろうろしてる間に師匠は出て行かれてしまって。よくある話です。

──そこからどうやって初対面になったんですか?

初めてちゃんとお会いできたのは、寝屋川寄席の会場、寝屋川エスポワールです。
あそこは出入口がわかりやすくて、お客さんも演者も同じところから入るので、「ここや!」と思って待ち構えて。師匠が出て来はった瞬間にダーッと走って行って、「弟子入りさせてください!」とお願いしました。
後から「あの時は刺されるかと思った」と言ってはりましたよ。あまりの勢いに(笑)。

≪「積極的にやれ」──ハメモノの稽古で叱られた一言≫

──師匠との思い出で、特に心に残っている言葉や出来事はありますか?

僕、さっき「積極的ですね」と言ってもらいましたけど、本来はむしろ消極的なタイプなんです。
入門して間もない頃、うちの師匠が「七段目」を演るときに、鳴り物を担当したことがあって。
2回目か3回目くらいのとき、僕がものすごく自信なさそうに、ゆっくり「パタン……」とツケを打ってしまったんです。
そしたら舞台上から、「お前、そんなんではあかんで。積極的に何でもやらなあかんやろ」と、けっこうきつく怒られて。
そのとき「あ、これが一番あかんのや」と、やっと気づきました。あれが、「ちゃんとやらなあかん」「前に出なあかん」と思うきっかけになりましたね。今振り返ると、大きなターニングポイントだったと思います。

≪しんどかったけど糧になった「出囃子の大失敗」≫

──「落語家を辞めよう」と思ったことはありますか?

「辞めよう」はないですね。ただ、しんどかったことはあります。
うちの一門の中でも重鎮の師匠とか、当時すごく尖ってはった師匠がいて。出囃子を叩く機会があったんですが、「何でも積極的にやりなさい」と言われてたので、曲が頭に入ってない状態で「やります!」と言ってしまって、大失敗したんです。
そのとき、むちゃくちゃ怒られて、空気も険悪になって……。「これはさすがにあかんな」と。
そこから家で死ぬほど出囃子の音源を聴きました。おかげでだいぶ叩けるようになりましたが、あの時期はしんどかったですね。入門1年目くらいの出来事です。

──でもそこでちゃんと改心して、努力するのが弥っこくんの立派なところですね。

≪稽古は「着物+鏡+声出し」 顔芸も含めて全部稽古≫

──落語のお稽古で、大事にしていることはありますか?

僕はわりと、声に出して稽古するタイプです。
座布団の上に正座して、着物を着てやります。帯までは締めずに、腰ひもぐらいですけど、本番に近い感じでやります。鏡の前で、「今どう見えているか」を確認しながらですね。

──歩きながら稽古したりは?

最近はあまりしないです。歩きながらだと、どうも集中できなくて。家で座ってやるほうが合ってます。

──自分の落語の「持ち味」は何だと思いますか?

よく「顔芸」と言われます(笑)。表情は大事にしていると思います。
稽古のときも鏡の前で、表情のポイントになるところはちゃんと見ながら。変顔も含めて、全部稽古ですね。

≪「加賀の千代」 寝かせた噺がある日しっくり来る≫

──最近、「これはうまくいったな」「つかめたな」と感じた噺はありますか?
「加賀の千代」という噺があります。これは、自分の中でかなりしっくり来た噺ですね。
登場人物が、甚兵衛さん、ちょっとアホな男、その奥さんの3人なんですが、みんながこのアホな男を優しく見守っている感じのセリフが、いろんなところに散りばめられていて。意外と笑いどころも多くて、「これはええ噺やな」とうれしくなりました。

──「自分の商品が一つ増えた」という感覚?

そうですね。「これはずっとやっていけるな」と思えました。

──逆に、稽古して高座にかけてみたけど、「これはちょっとどうしようもないかな」といったん寝かせている噺もありますよね。

ありますね。最初の打率は半々くらいかもしれないです。
1回やってピンとこなかった噺は、いったん2年くらい寝かせて、久しぶりにやってみると「意外とできるな」ということがあります。

≪小泉八雲の怪談を「落語にする」難しさ≫

──2025年度後期のNHK連続テレビ小説「ばけばけ」は島根が舞台のドラマで、小泉八雲が話題です。小泉八雲原作の怪談を落語にしてるんですよね?

はい、3つほどやりました。いずれも怪談ですね。
そのまま朗読するのではなく、「落語としてお客さんが楽しめる形」にだいぶ手を入れています。がっちりした原作のままだと、“朗読会”に近くなってしまうので。
新作落語を作る感覚に近い難しさがありますが、「落語家が工夫を加える余地のある作品」が多いので、やりがいがあります。

≪休日は朝ドラ、映画三昧。おすすめはあのドラマ≫

──少しプライベートなところも。休日は何をしていますか? 落語以外でハマっているものとか。

そんなにたくさん観られてはいないんですが、映画と朝ドラはわりと観てます。
コロナ禍くらいから、ほぼずっと朝ドラを追いかけていて。残念ながら途中で断念した作品もありますけど(笑)。

── 一番おすすめは?

清原果耶さん主演の「おかえりモネ」(※1)ですね。天気予報がテーマの作品。あれは優しい世界観で、ずっと優しかったです。
今やっている「ばけばけ」は地元・島根が舞台なので、つい推したくなりますね。

≪弥っこにとっての「名人」とは・・≫

──このインタビューのシリーズは「将来の名人に聞く」です。弥っこさんにとって、「名人」とはどういう存在でしょうか。

難しい質問ですね……。
僕が思う「落語の名人」は、「最後に温かい気持ちにさせてくれる人」かなと思います。
年々、自分も「優しい落語」が好きになってきていて。何度も繰り返し聴くのに、トゲトゲした噺よりも、どこか温かい噺にひかれます。

──今、特に好きな落語家さんは?

自分の師匠(桂吉弥)が一番素晴らしいのはもちろんなんですが、東京の方だと入船亭扇遊師匠。すごく優しい噺をされます。

≪これから挑戦したい企画と10年後の姿≫

──今後、挑戦してみたい噺や企画はありますか?

企画としては、12月に「小泉八雲特集」の二人会を予定しています。二席とも小泉八雲原作をベースにした噺に挑戦しようと思っています。
さっきも言いましたが、「落語家が工夫を加える余地のある」作品が多いので、まだまだやりがいがありますね。

──10年後、どんな落語家でいたいですか? 今が12年目だから、22年目くらい。

10年後も、「何してくるかわからん落語家」でいたいですね。
お客さんから見て、「今日は何してくれるんやろ」とワクワクしてもらえるような、バリエーション豊かな落語家になりたいです。
最終的には、「温かくて、何するかわからない落語家」になれたらいいですね。

≪兄弟弟子・桂弥太郎との思い出──「お疲れ様でございましたと言えない」≫

──兄弟弟子として、私・桂弥太郎との思い出で、印象に残っていることはありますか?

もちろん、たくさんあります。
修業中は、うちの師匠も今よりずっと厳しかったじゃないですか。二人そろって怒られる、みたいな(笑)。
あるとき、落語会で出番が終わったあと、師匠方に「お疲れ様でございました」と挨拶するんですが、僕が流れ作業みたいに「おつかれさまでーす」みたいな感じで言ってしまって。
それをうちの師匠に、「『お疲れ様でございました』ぐらい、ちゃんと言え」と4回くらい続けて怒られまして。
そこから、「ちゃんと言おう」と思うんですけど、もともと滑舌が悪くて噛むんですよ(笑)。「おつかれさま で、で、で……」みたいな。
大丸の心斎橋劇場での独演会のあとも、「今回はちゃんと言おう」と思ってたのに、緊張して結局言えず。そのあと弥太郎兄さんがバタバタっと走ってきて、僕よりひどい感じで「おつかれさまでした〜!」って言うてて(笑)。
「お前も言えてへんがな!」と、ちょっとホッとしたのを覚えています。

──僕はその記憶、まるっと抜けてます(笑)。でも確かに、大丸の会って妙に緊張するんですよね。


あま咲き放送局にて(※2)。弥太郎(右)とともに(写真提供:弥っこ)

──では最後に、落語ファンの皆さんに一言お願いします。

はい。落語家の言うことは、あまり信用しないでください(笑)。
枕でいろいろしゃべりますけど、オーバーに言ったり、ちょっと盛ったりしてますからね。でも、このインタビューだけは、なるべく本当のことをしゃべりましたので(笑)、信じていただいて大丈夫です。

(※1) 2021年度前期放送のNHK連続テレビ小説
(※2) 兵庫県尼崎市のコミュニティFMラジオ局

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