8月30日から10月3日の5週間にわたって開催された「繁昌亭15周年記念特別公演」は、各一門が週替わりで出演し盛況の内にめでたく打ち上げられました。
今回この公演を振り返り、後の番組作りに活かすため、一門ごとの担当者が顔を揃えて様々な意見交換をする場が設けられたのです。
出席者は露の都、桂枝女太、桂米団治、笑福亭鶴笑、月亭遊方、林家そめすけ、の6名。まずは「んなあほな」編集長でもある桂枝女太の挨拶から始まりました。
枝女太「お集まりいただきありがとうございます。今までも、いろいろ(んなあほなで)発信してきましたが『今度こういうイベントがあります』というような宣伝ばっかりやなくて、終わってからの総括みたいな話も出していきたいなと思って来ていただきました。しかし、むずかしい話やなく、皆でワチャワチャ言うてるのを記事に出来たらと…」
米団治「まずは苦労話からにしましょか。この中で番組作りに一番苦しんだのはどこです?」
都「私らかな?春団治一門と五郎兵衛一門のセッションみたいなとこがあったから、双方のバランスを取るのが大変で…系図上では親戚筋やけど、普段の活動はそれぞれ一門ごとの事が多いし…」
米団治「それを言うたら、うちも月亭を一門に入れてええのかどうか(笑)」
遊方「そこは入れといてくださいよ」
米団治「けど、月亭まで含めたら80人近いし…その上、出番を組んでた4月の時点で、ほとんど全員スケジュールが空いてたんや(笑)」
枝女太「まあ、コロナで仕事が無かったからね」
米団治「空いてるということは、出さん訳にいかんので何とか振り分けましたけど…おかげで米朝一門の担当した週は、1日に10人前後がひしめいてた」
一同「密や、密(笑)」
米団治「そこは、楽屋を分けたり入り時間をずらしたり、対策はしてましたよ」
鶴笑「大所帯はうちもですが…それ以上に笑福亭は体育会系なんで(笑)上下関係とかに気を付けてプログラムを組まんと、こだわりを持ってる人が多いし、とても悩みました…逆に、そこをうまく持って行ったら、お互いにライバル心を燃やして『あいつには負けられん』と、舞台上で芸のケンカをしてくれるので、それが相乗効果となって、結果的に大成功やったと思います」
そめすけ「林家は反対に数が少なすぎて(落語の出番としては)ギリギリでした。ただうちの師匠(染丸)には寄席三味線の弟子もいてるんで、普段は表に出さないお囃子の実演とか秘蔵映像なんかを流して何とかまとめました」
遊方「けど、そういうあんまり観ることが出来ない内容こそ、お客さんに喜ばれるんですよ。もちろん、それぞれで落語以外に趣向を凝らしてたんですけど…文枝一門は大喜利でしたっけ?」
枝女太「大喜利はやるつもりやったけど、初めは司会を小文枝兄さんに頼んで、ゲーム色の強い大爆笑間違いなしのやつを考えてたんや、何とかお客さんに楽しんでもらって、次の集客にも繋げんとあかんし…ところが『そんな大師匠に司会をさすとは!もっと若手でええやろ』ちゅう声があって、最終的に三幸君にしたんやけど、正解やったね」
都「おもしろかったんやてね…でも時間が押して、後が大変やったって聞いたよ」
枝女太「それだけ盛り上がったということですんで堪忍して下さい。もうひとつ考えたんは、ベテランをトリに持っていかんと、中堅に任すという事かな。今、勢いのある噺家に締めくくってもらいたかったかったんで…これは別に、ベテランに勢いが無いと言うてる訳やないですよ(笑)」
都「私らは日替わりでメンバーを入れ替えて、軽口仁輪加をしたんやわ」
そめすけ「これも、普段あまり見られない芸ですよね」
都「ご存じ無い方の為に説明すると、仁輪加は歌舞伎の真似や滑稽な芝居を即興で演じるもんで、江戸の末期から明治にかけて全国的に流行ってたみたい。それを今回やったんやけど、一人覚えの悪い人がおって、急に『俺は出んのんやめる』言いだして…それも前日に。なんとか説き伏せて出てもろたけど、あせったわ」
米団治「うちは『八十八(やそはち)襲名』をメインにしました。実は去年、一門勢ぞろいで『米朝まつり』というのを繁昌亭でもやらせて頂いてたので同じようなことは出来ないし、インパクトがあるのは襲名やろ、となって決めました」
鶴笑「口上みたいなシュッとしたやつは米朝一門が似合いまんな」
遊方「9月13日からの1週間は夜席も記念公演でしたけど、その中でも19日の繁昌亭SONICが大当たりでした。落語は一切なし、色モノと音モノだけの会で、15年の歴史の中で初めての試み」
鶴笑 ・ そめすけ「僕らも出てましたけど、そら、異様な空気というか…お祭り騒ぎで」
遊方「最初に5分挨拶したんですけど、出て来ただけで…ウォーという、どよめき…『こんな落語もしない様なイベント、亡くなった仁鶴師匠にも見せたかった』…ドオーッという、歓声」
都「こうなったら、ロックコンサートのノリやな」
鶴笑「こんな調子で最後まで持つんかいなぁと思たてたけど」
そめすけ「(お客さんも)疲れることなく突っ走りましたね」
枝女太「客層はどんな感じ」
遊方「そらもうコテコテの落語ファン、特殊な会ですもん。寄席の看板は普通、落語を黒い字、色物は朱色や赤で書いて、落語7、8席の中に色物2席とかですやん。ところが、この会は頭から終いまで全部赤、唯一黒かったのが中入りだけ(笑)」
米団治「振り返ってみると本格派あり、変わり種ありで、どこを取っても楽しい15周年になったと思うわ」
遊方「集客の方も多少の違いはありましたけど、連日当日客の入りが良かったし、特に『10月から緊急事態宣言が解除される』となってからの入場者が右肩上がりで、めでたく尻跳ねして、コロナさえ無かったら、連日満員が可能だったかもしれませんよ」
米団治「『尻跳ね』てな言葉を君から聞くとは…成長したね」
遊方「僕を何やと思てはるんですか(笑)」
米団治「コロナさえ無かったらって言うたけど、僕はコロナやったからこそ、こういう企画のアイデアが浮かんだんやと思う、みんなで知恵を出し合って協力したんが成功に結びついたんやで」
枝女太「これからも一致団結して、お越し頂いたお客さんに満足してもらえる様にがんばりましょう」
一同「お疲れさまでした」
~この後、んなあほな編集長の枝女太と筆者の米平で、実行委員長の遊方に今回の大役を終えた感想を改めて聞きました~
米平「15周年記念会を振り返って、どうでした?」
遊方「実行委員長の立場からすると、何とか盛況に終われてホッとしています。それというのも、繰り返しになりますが、各一門それぞれ違う色合いが出てバラエティーに富んでいたのと、全般的に当日客の入りが伸びたことで、演者のモチベーションが上がって、いつも以上の力を発揮出来たこと…これが成功に繋がったと思てます」
枝女太「芸人って単純な人間が多いから、お客さんの数が多いだけで張り切るよな」
遊方「最後に改めて、僕一人の力では至らなかった所をサポートしてもらった、各一門の担当者の方々とスコーピオンズの人たちに厚くお礼を申し上げときたいです」
米平「ち、ちょっと待って。スコーピオンズって誰?」
遊方「ああ(笑)僕の下で手となり、足となり、頭脳となって働いてくれた、桂三幸、笑福亭喬介、桂華紋の三人です。昭和の泥臭いロックグループみたいな感じが好きで、勝手に名付けました。この後輩たちが非常に頑張ってくれたおかげで何とかなりましたやけど、まったく表に出て無いので、ここで紹介させてもろときます」
枝女太「まあ、いろんな人の支えや助言があったにせよ、それをまとめ上げたんは君の働きやから」
遊方「そう言うていただくと、ありがたいです。けど、今は緊張の糸が切れた状態ですわ」
米平「凧みたいにどっかへ飛んでいかんといてや」
遊方「凧やなくて、私はUFOです」
文中 出席者敬称略
文:桂 米平