桂白鹿 かつら・はくしか 兵庫県宝塚市出身
2014年9月 桂文鹿に入門
厳しかった弟子修行を糧に、古典、新作の両刀で個性を発揮!
≪入門同期生の4人で「ツバスの会」を結成。定期的に落語会を開催している≫
入門10年までは古典落語を師匠から教わった通り、きっちり演じることを心がけてきました。それで何かをつかんでから、自分の工夫を加えていこうと。
「ツバス(※1)の会」は小さな会場ばかりで開いてきましたが、今年9月、初めて繁昌亭朝席で開催しました。会のタイトルの魚みたいに、少しだけ“出世”です!
師匠の教えは「やりたいようにやれ」「何してもええから(お客さんを)笑わせぇ」。
入門10年の節目にあたって、その教えをいっそう肝に銘じています。
≪近畿大学を卒業後、東京で6年間、読売新聞グループの広告代理店に勤務。東京の寄席によく足を運んだ≫
もともと、落語が好きやったんです。興味を持ったきっかけは、学生時代、テレビで立川談志師匠に密着したドキュメンタリー番組を見たことでした。
大学で落研(落語研究会)には入ってなかったんですけど、落語家になるか、就職するか、迷ったほどです。結局、安定した会社勤めを選び、東京に配属されました。
仕事のかたわら、寄席によう通いましたね。聴き始めが談志師匠でしたし、当時は完全に東京落語に染まってました。ナマの落語をぎょうさん聴いて、やっぱり噺家の仕事ってええなあ、と。本気で転身を考えるようになりました。
あるとき、出番を終えて楽屋口から着物姿で出てきた噺家さんが、なじみの女性ファンたちに囲まれ、連れだって街へ消えていくのを目撃しました。女性たちも着物姿。
その噺家さんがめちゃ金持ちに見えまして。
「噺家はもうかる!」と思い込んだのも、転身を考えた一因です。それが勘違いだったと気づいたのは、ずっとあとのことです(笑)
≪落語家になりたい気持ちを抑えられず、会社を退職。地元に戻って関西各地の落語会を巡り、入門の機会をうかがった。ある落語会で初めて聴いた落語家が、強烈な印象を残した≫
地元の宝塚市で落語会があって。「中山観音寄席」です。ここで、ほかの演者と雰囲気がまったく違う噺家が高座に上がりました。第一印象は「この人、なんでこんなに怒ってるんやろ?」。それが桂文鹿、今の私の師匠です。
独創的な発想で自作の落語をいくつも手がけてはって、いずれは新作もやりたい私は直感しました。「この人や!」と。
それから弟子入りを何べんも願い出たんですけど… お答えはいつも「絶対(弟子に)とらん」。
師匠は人嫌いの面もあってか、態度はかたくなでした。楽屋の外で出待ちして、お願いしてはことわられ、の繰り返し。会社を辞めてますから、まさに背水の陣です。入門がかなうまで、9ヵ月かかりました。
≪落語家の弟子修業は、昔は師匠宅に住み込むのが主流だった。マンション住まいの師匠が多くなった現在は、師匠宅に毎日通う「通い弟子」がほとんど。白鹿も「通い弟子」のつもりだったが…≫
「住み込み」を命じられ、驚きました。師匠宅は一軒家で、同じ敷地の離れの家で単身、寝泊まりする修業生活に入りました。
師匠からこう言われました。
「弟子は師匠のマネージャーとちゃう。俺の身の回りのことはせんでええ」
「自分がどうしたら売れるか、どないして食っていくかを考えろ」
日々の用事といえば掃除、皿洗いくらい。他の一門の新弟子よりは用事が少なかったでしょうけど、師匠からは毎日、クビになりそうな厳しいお言葉ばかり。
思いつめて、「あす(弟子を)辞める」と毎日、家の前を流れる川を眺めて考えていました。ストレスのあまり、声が出なくなったり、円形脱毛症になったりしました。
【白鹿(左)と文鹿師匠】
≪厳しい住み込みの修業は1年で卒業。師匠の海外遠征に同行したが、まさかの事態に。信じがたいハードな目に遇う≫
師匠は年1回、1ヵ月ほどインドへ旅行に行きはるんです。ネタの仕込みも兼ねて、です。
通い弟子になっていた私は「ひと月、休みがもらえる!」と喜んだのも束の間、師匠が「おまえもついてこい」。
師弟で関空を飛び立ってデリー空港に着き、さらに飛行機で3時間、鉄道で3時間。
プリ―(※2)という町で投宿しました。現地ではずっと師匠とご一緒やと安心していたら、私が師匠のご機嫌を損ねたのか、数日後、衝撃の通告を受けました。
「ここから別行動にする。1ヵ月後、デリー空港で待ち合わせや」。
え!? マジすか!? まったく知らない外国でたった一人、ですよ。言葉は通じへんし、所持金は心もとなし。インドの鉄道は日本と違い、予約がめちゃ不便なんです。匍匐前進のごとく毎日少しずつ、デリーへ接近。1ヵ月後、どうにかやっと、師匠と合流できました。
よく生きて日本に帰れたな、と思います。(笑)
おかげでメンタルはかなり鍛えられたかもしれません。
≪2年間の修業を終え、独り立ち。文鹿師匠と出会った「中山観音寄席」は年4回のうち2回、主任=トリを任されている。師匠からの信頼の証しだろう≫
入門のきっかけになった寄席ですし、ずっと続けていけるよう努めます。
これまで自作の落語は7本、師匠作の「困客万来」(※3)も受け継いで演じてます。
「質屋蔵」」といった大作にも挑むのが目標です。古典、新作の両刀で個性を発揮できるよう、がんばります。
文・んなあほな編集部
編集部注
(※1)出世魚。関西ではツバス→ハマチ→メジロ→ブリと名前が変わる。
(※2)インド東部、ベンガル湾に面した都市。
(※3)落語家が寄席のお客さんの応対に困る様子を描く。演者自身(文鹿、白鹿)が主人公として登場する。