お久しぶりの『落語名所』で一席お付き合いを願います。
昔から、上方の米沢彦八、江戸の鹿野武左衛門、そして京都の露の五郎兵衛が落語の祖とされてきました。
この三人の噺家はどういう偶然か、江戸時代のほぼ同時期に現れ、各地で口演を始めたのです。
なかでも露の五郎兵衛は日蓮宗の談義僧(説法に節回しをつけ、民衆に親しみやすく語り伝えた教化僧)でありました。
法名を「露休(ろきゅう)」といい、落語の元となる「辻咄」を創始。『軽口露がはなし』などを著しました。
その露の五郎兵衛が初めて「辻咄」をしたと伝えられているのが京都・北野天満宮です。
日蓮宗の僧侶がなぜ神社で口演を始めたのか…
その真相は謎のままですが、そこのところはあまり深く追求すると、僧侶なだけに「ホットケ」と言われてしまいそうです。
さて、北野天満宮は誰もが知る「学問の神さま」で、菅原道真公をおまつりする全国の天満宮、天神社の総本社です。
北野天満宮公式HPによると、北野天満宮は平安時代の中頃、多治比文子や近江国比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。
それがなぜ学問の神さまになったのかというと、江戸時代に普及した寺子屋の教室に道真公のお姿を描いた「御神影」が掲げられたため、「学問の神さま」、「芸能の神さま」とされるようになったのだそうです。
落語だけでなく、「歌舞伎発祥の地」ともされています。
現在、北野天満宮には「初代・露の五郎兵衛の碑」が建立されており、
毎年11月には二代目・露の五郎兵衛一門による「もみじ寄席」が開催されています。
落語会の開演前には碑前祭が行われ、初代の威徳を偲び、一門の繁栄が祈られます。
≪露乃五郎兵衛歌碑≫
≪二代目露乃五郎兵衛一門≫
でも、ちょっとここだけの話し…実は二代目・露の五郎兵衛は敬虔なクリスチャンでした。
初代は「仏教」の僧侶で、はじめて辻咄をした場所が「神社」、
そして二代目が「キリスト教徒」なんて、そんなん、ええの???
大丈夫大丈夫♪きっと二代目は、天国から「イエス」と笑うてはるはずですヨ☆
(筆者・露の団姫)