3月28日、可朝師が急性肺線維症のため、80歳で極楽寄席へと旅立ちました。
三代目林家染丸師に入門し染奴となり、後に桂米朝師に師事し小米朝を名乗り、
1968年に月亭可朝と改名。
ギター片手に「嘆きのボイン」が大ヒット。
着物にカンカン帽にメガネをかけて高座を勤めるという新しいスタイルを編み出し
一風変わった落語家としてのイメージが強いのですが、古典落語の力量は相当なもので、
晩年、東京などでも独演会を開催するなど精力的に活動しておられました。
今では落語家がテレビなどに出て、タレント活動をするのが当然という認識ですが、
笑福亭仁鶴、桂三枝(現・六代文枝)らと並び、可朝師はタレント落語家の走りといえるかと思います。
衰退していた上方落語界に異彩を放つ存在として現れ、
人気を博し新しい落語ファンを開拓した功労者、月亭可朝師匠、ご冥福をお祈りいたします。
文・桂枝女太